※ 押絵羽子板の「押絵」とは…厚紙に布を張り綿を入れ、立体感を持たせた物です。
面相士 鈴木創博(すずきそうはく)を筆頭にデザイナー他、若手技術者による心を込めた作品「振袖羽子板」。
年々新作にチャレンジし、品質の向上に心がけ、宗観(そうかん)監修のもと、板は会津桐を使用し、
その他自信をもった国内産の作品を作り上げております。
一好作
中国の14世紀ごろに硬貨をつけ錘とした羽根を蹴る遊びがあり、室町時代にこれが日本へ伝来、これが羽根つきの起源とされています。
室町時代には、宮中のことを記録した「看板御日記」に羽根つきの記録があります。
この記録には公卿や女官が羽根つきをし、負けた組が酒を振舞ったとの記録があります。
戦国時代から羽根つきに厄払いの想いがあり、江戸時代は年末に邪気よけとして羽子板を贈ったとのことです。今も女児の初正月に羽子板を贈る習慣が残っています。
江戸時代になり、羽子板の図柄は日の出・七福神・松竹梅など目出度い絵に加えて、町人文化・元禄文化を反映して「歌舞伎」の役者絵が登場します。錦絵の影響を受けた貼り絵の羽子板が作られ、江戸時代の終わり頃に、押絵を応用した役者似顔絵が作り出され、高い人気がありました。
明治時代に入り、歌舞伎黄金時代が到来し、九代目団十郎・初代左団次・五代目菊五郎などの名優が登場。押絵や押絵羽子板が江戸工芸・東京の職人芸として完成していきました。
羽根突きの羽根の飛ぶ様がトンボに似ていることから、蚊が病気を仲介することを認識していた昔の人々は、羽根をトンボに見立てました。
そのことから蚊はトンボを恐れ、ひいては子どもが蚊に刺されないという厄除けのまじないとして、正月に羽根突きを行っていました。
また羽根突きの玉には、板で突いたときの音が良いということから「ムクロジ」という木の、黒くて固い種子が用いられています。
「ムクロジ」は「無患子」と書き「子どもが患わ無い」ようにとの意味が含まれています。
このように、羽子板は正月の羽根突きの遊び道具、贈り物、飾り物という用途に加えて、女児の初正月を祝い、
邪気をはね除け美しく無事成長することを願うための大切な飾りとなっています。