『武家百人一首』、『後選百人一首』、『源氏百人一首』、『女百人一首』等様々な百人一首があります。その中でもっとも有名なのが『小倉百人一首』でありそれぞれ小倉百人一首の影響を受けて作られました。 | ||
百人一首とは鎌倉時代(かまくらじだい)に京都の小倉山に住んでいた歌人の藤原定家(ふじわらのさだいえ)が、百人の歌人の優れた和歌(わか)を一首ずつ集め約600年間の代表的な歌人の秀歌を年代順に並べたものです。 それらの百首は全て「古今集(こきんしゅう)」 ・「新古今集(しんこきんしゅう)」など十の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)から選ばれたものです。 百首のうち、一番多いのは恋の歌で四十三首あり、季節では秋の歌が二番目の十六首で秋が多く選ばれています。なお、百人のうち女性歌人は二十一人、僧侶(そうりょ)は十五人(男性七十九人)です。 |
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現在百人一首はかるたとしての方が良く知られています。平安時代の「貝合わせ」が、かるたのルーツと言われています。二枚貝をふたつに分けて片方をさがすゲームです。その後、貝に歌や絵を書いて遊ぶようになりました。 また、百人一首が、「かるた」として遊び始められるようになったのは、戦国時代(せんごくじだい)からです。はじめは、宮中(きゅうちゅう)とか諸大名(しょだいみょう)の大奥(おおおく)等で行われ、それが年間行事となっていきました。なかなか庶民の手の届かないものでしたが、江戸時代に入って木版画の技術が普及するに伴って学問の教本として広がっていきました。そして、元禄時代(げんろくじだい)から一般庶民の間にも広がりました。その後お正月の良き団欒(だんらん)として一般家庭でも行われるようになったのは、安政(あんせい)の時代の頃からだといわれています。 |
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百枚の読み札と同じ数の取り札の計二百枚から成りたっています。読み札と取り札はともに紙を張り重ねてつくられていて、札の作りや材質、裏側の面などは読み札と取り札では区別がありません。 読み札の表面には歌人の肖像(しょうぞう)と作者の名そして和歌(わか)が記されていて、取り札はすべて仮名書きで下の句だけが書かれています。読み札には彩色がありますが、取り札には活字だけである点が大きな違いです。 |
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かるた札は緑色で、切断して作成しています。札のサイズを均一にする為、重ね切りせず一枚一枚切断しております。朗詠CD付なので、シャッフル・ランダム機能使い一人でもお楽しみ頂けます。 | かるた札の裏貼り紙には緑色越前和紙を使用、さらに表面加工を施し、競技での使用にも耐える強度のある、かるたです。朗詠テープ付で、歌い方を覚えたり、暗記用に便利です。 | |||||||||||||
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今現在、持てる技を結集した最高傑作の百人一首、それが [佳鳳かるた] です。独自の技術により台紙の厚み自体は変えぬ様貼り合わせ回数を増やし、重みのある頑強な作りと手触りを実感して頂けます。 詠み札は13度刷り、取り札は4度刷りに特色を加え、その風雅な色彩はまるで絵巻物を見るような美しさです。 化粧箱は銀杏の天然木を素材に本漆塗りで仕上げ、純金で蒔絵を施した至高の漆箱です。手づくりの技術、素材、容姿すべてに拘り、他を凌駕する最高傑作の百人一首と呼ぶにふさわしいものと言えるでしょう。 |
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